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山田 廸生 氏  
 
山田 廸生 氏
MICHIO YAMADA

「タイタニック」から100年

 英ホワイトスターラインの大西洋航路客船「タイタニック」が、サウサンプトンからニューヨークへ向け処女航海に出航したのは、1912年(明治45年)4月10日の正午すぎでした。そして、カナダのニューファンドランド沖で氷山に衝突して沈んだのは、同15日午前2時20分。再来年(2012年)の4月15日で、ちょうど100年になります。
「タイタニック」は約46,000総トン。当時、世界最大の客船でした。
 57人の子どもをふくむ船客1,316人、乗組員890人、合せて2,206人が乗っていました。そのうち救助された者は711人。じつに、乗船者の7割にあたる1,495人が命を落としたのです(人数は英国政府調査委員会の報告書による)。
 沈んだ位置は、現在、正確にわかっています。
 事件から73年後の1985年9月、米国とフランスの合同探査チームが深海に眠る「タイタニック」を発見。以後、何回も調査がおこなわれ、艤装品、遺品などの回収にも成功しました。むろん、船体の損傷状況や沈没原因の調査もおこなわれました。
 氷山に衝突したのは、前日(14日)の深夜11時40分すぎです。この日は日曜日で、微風が吹く穏やかな天気でした。
 衝突から沈没まで、2時間40分もありました。瞬時に沈んだわけではありません。にもかかわらず、多くの命が失われたのは、よく知られているように、十分な救命ボートが積まれていなかったからです。救命ボートの数が生死をわけました。救命ボートが大悲劇の主人公であった、ともいえます。
 その2時間40分間。船上では、さまざまな人間ドラマが展開されました。
 極限状態に追いつめられた人間は、何を考え、どういう行動をとるか。それらのあらましは、映画『タイタニック』や、映画の大ヒットに合せて出版された何冊もの本によって、すでにご存知かと思います。
 事件後、大悲劇を教訓に、造船面・運航面の改革がなされました。
 その最大の成果は、海上における人命安全、すなわち「SOLAS」(Safety of Life at Sea) についての国際的なとりきめができたことです。この大悲劇は、船旅の歴史のうえで大きな転機になりました。
 こんにち、外航クルーズ船に乗ると、乗船してまもなく、ボートドリル(避難訓練)がかならずおこなわれます。船客全員と担当乗組員が救命胴衣を身に着け、指定された場所や救命ボートの前に集まるというもので、そのきびしさは航空機の比ではありません。
 この船上訓練は、「SOLAS」のルールによるものです。外国のクルーズ船のデイリー(船内新聞)には、そのことが明記されています。「タイタニック」の大悲劇の教訓は、現代も生きているのです。
 さて、このたび英フレッドオールセン社が企画した「タイタニック」100周年記念航海では、「タイタニック」とほぼ同じ大きさのクルーズ船「バルモラル」(43,537総トン)が就航します。むろん、現代のクルーズ船は、「SOLAS」ルールによって厳格に設計・運航されていますから、「タイタニック」事件が起きる可能性はまったくありません。
「バルモラル」は、100年前の「タイタニック」と同様、サウサンプトンから出航。最後の寄港地となったアイルランドのコーブ(旧名クイーンズタウン)に寄港したのち、北大西洋を横断します。
 4月14日には、沈没海面に到着。海底に消えた15日午前2時20分には、鎮魂のセレモニーをおこなうとのことです。次いで寄港するハリファクス(カナダ)は、沈没海面に最も近い大きな港であり、多くの犠牲者が埋葬されています。海洋博物館には、事件関連の展示もあります。そして、最終の到着港は、「タイタニック」がめざしたニューヨークです。
 全航程12泊13日のこの大西洋横断は、船旅愛好家だけでなく、往年の大西洋航路客船に関心がある方々にとっても、魅力的な航海であると思います。

2009年12月
山田廸生(日本海事史学会理事)




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